History

1960年(昭和35年)栃木市沼和田町4-34に、舟田マサ(大正4年1月29日生/平成26年1月6日没享年100歳)がクリーニング店「春光舎」をオープンしました。それから半世紀。皆様の愛顧を預かり今日まで続いてまいりました。この場をお借りまして御礼申し上げます。今後も末永いお付き合いのほどよろしくお願いいたします。  代表取締役社長 舟田一之

①初代マサ
①初代マサ
②2代目達夫
②2代目達夫
③増築
③増築
④昭和60年頃
④昭和60年頃

若かりし頃の①初代マサ。夫良雄と豆腐店を営んでいました。良雄が戦死するまで二人の間に2人の子を授かります。万町で営んでいた豆腐店は、戦時中物資不足を背景に、お客様が遠方よりご来店くださいまして連日行列ができていたそうです。そういったわけで「舟田豆腐店」大繁盛。タンスをあけるとお札がびっしり詰まっていた(テル子の話)そうです。そんな大金も株をやっていたため、その会社が倒産したことで1夜にしてなくなったこともあったらしいです。

 株ではかなり失敗を繰り返したようです。

 そんな豆腐店に、クリーニングの営業マンが回っていて、ある時お気に入りの青年に「やる気があるなら、店を作ってやる!」と、作ってあげたのが春光舎の始まりです。いかにもきっぷうが良かったマサを感じられる話です。この「春光舎」の命名の由来は、長男春好・長女テル子の頭文字でした。

 ところがその男性はすぐ辞めてしまって、豆腐店を長男春好みまかせ、長女テル子とともに春光舎を営んでいくこととなります。まだクリーニング店は数が少なく、またまたこちらも大繁盛。ここで職人さんを多数使うことになります。この中に②2代目達夫がいました。

 売り上げは順調に伸びていきます。平屋だった店を増築した写真が残されていました。私が生まれたお祝いはこの2階でやったと話もありましたので昭和40年くらいかと思います。だとすると店を作って5年程度。すごい話です。

 クリーニング業に活気があったそんな時代、ウール・シルクを洗えるドライ機「パーク」が発売されました。このパークすごい機械で、汚れは落ちるし、一度にたくさん短時間に洗い、乾燥されて出てくるものすごいものでした。そのため高額で簡単には手が出ない代物でした。テル子の話によりますと、当時栃木県で2番目にパークを購入したそうです。1番手はフジドライ様だったようです。当時は沢山のクリーニング店さんがかりに来ていたそうです。

④テル子・従業員塚本さん1978年頃の写真。クリーニング品の置く場所もなく天井からぶら下げていました。ある時重さに耐えられず、天井が抜けてしまったらしいです。忙しい時代を感じさせます。

⑤荒川油屋さん・藤田さん1990年頃の写真後ろにくるくるまわるスリックレールが設置されています。天井がすっきりしました平成初めの頃。ストックがこれで足りてしまった、とも見てとれます。この頃になりますと取次店の店舗展開が最盛期でした。個人店が力をなくしてきつつあった時代でした。

 現在は、クリーニング業自体が衰退の一途をたどっています。その代わりに、コインランドリーが次から次に増えています。今コインランドリーを作ろうとしても機械の製造が間に合わず、早くても5年後になるらしいです。そのくらい需要が大きい。

 そんな中クリーニング業は変わらず必要とされています。多くのお客様は、仕上がりを見て驚かれ、諦めた汚れが落ち喜びを感じ、また足を運んでくださいます。長年積み重ねてきた経験は輝き続けます。皆さまのご愛顧に感謝するとともに、皆さまのご期待に添えるよう、これからもがんばってまいります。


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